はじめまして。
ご覧いただきありがとうございます。
山奥えりこ と申します。
引きこもり歴8年の元ニートです。
できることなら一生働きたくないと思っています。
ですが、20代最後の年に
決死の覚悟で脱ニートし
現在は清掃の仕事をしています。
このブログでは
アフィリエイトなどネットで稼ぐ方法、
パソコン1台で稼ぐ方法を学びながら
情報を発信しています。
私は今でこそ
清掃員として働いていますが
そもそも空気が読めなかったり、
たくさんの人の存在や視線が怖くて
会話が続かなかったり、
「人」との関わり方が下手すぎて
仕事をしても
長く続いたことがありません。
「このままじゃダメだ、なんとかしないと…」
と、解決策を求めてネットサーフィンをしていたとき
アフィリエイトを知りました。
最初のうちは作業が必要だけど
軌道に乗れば
ほとんど不労所得のようなもの。
パソコンがあれば
好きな場所で、一人でもお金を稼ぐことができる。
ネット上に仕組みを作ることで
この先、何十年も
自動で収益を生み出せる。
夢のような話ではありますが
情報を集め、学んでいくうちに
実際にアフィリエイトの収入で生活している人は
存在するのだと知りました。
私が目指す未来は
好きなだけ引きこもっていられる環境をつくること。
他者に縛られず、時間に追われず
自分が心地良いと思う環境で
好きなことを好きなだけやれる自由を
手に入れること。
自分があくせく働かなくても
ネットで収入を得られる
不労所得の仕組みを構築することです。
また、私の発信を受け取ってくれた人にも
時間や他人との関係や、
お金に縛られない
自由な未来を手にしてほしいと思っています。
このブログでは、
そのために必要なネットビジネスのやり方や
成功のためのマインドなど
今まで学んだ知識をお伝えしていきます。
・将来のお金の心配をしたくない
・家族や自分のために使える時間を確保したい
・時間に追われず、自分が本当に好きなことを好きなだけやりたい
・自分が大切だと思う人とだけ関わって生きていきたい
・苦しいこと、つらいことを、嫌なこと我慢して労働したくない
・組織で働くのがイヤ、集団行動がムリ
・自分が選べる選択肢を増やしたい
・体調が悪い時に、謝りながら勤務先に休みの電話をしたくない
・お金がないという理由で我慢したくない
・自分の力で稼げるようになって仕事を辞めたい
・誰かの役に立つことがしたい
同じような想いを抱えている人へ、
その想いを叶えるための方法、
役に立つ情報をお届けしていきます。
ここから先は、より詳細なプロフィールです。
幼少期も含めて
私の過去をお話ししていきたいと思います。
小学生:はじめてのひきこもり
「ほんと空気読めないよね」
小学3年生のときに幼なじみに言われた言葉です。
どうやら空気が読めないというのは
「いじめ」の理由になるらしい、と知ったのもこの頃でした。
いじめというか、集団での無視。
ある日突然、話しかけても誰も反応してくれなくなるんです。
昨日まで普通に話していたクラスメイトが、朝のあいさつを返してくれない。
話しかけようとすると他の友人とあからさまに違う話をする。
何度話しかけても無視される。
いないものとして扱われる。
「なんで?」
「私、何かした?」
「わかんない、なんで?」
頭の中が、ずっとグルグルしていました。
子どもの頃の私は、何でも一番になりたがる負けず嫌い。
加えて、周りの意見を素直に聞き入れない「あまのじゃく」な性格でした。
幼い頃から、それに付き合わされた彼女は、もう我慢ならなかったのでしょう。
私は、クラスから完全に孤立していました。
ケンカなら仲直りすることはできる。
暴力なら大っぴらに先生や親に言うこともできる。
でも、生徒しかいない時間に繰り返される「無視」は私のメンタルに大ダメージを与えたのでした。
小学生にとって、学校は生活のすべてです。
一日の大半を占める時間を、ほとんど無視されて過ごせば、心が折れるのはすぐでした。
当時は、ショックで学校に行けなくなりました。
朝起きて「学校に行かないといけない」と思うと、お腹のあたりが気持ち悪くて仕方なかった。
「学校行きたくない」
これが、はじめての引きこもりでした。
︎引きこもり、コミュ障に進化する
9歳にして「大多数から無視される」という経験から、
それ以降の私は自分の殻に閉じこもるようになります。
1人でいた方が楽だし、傷つかなくていい。
「別に友達なんて絶対に必要なわけじゃないし」なんて強がってみたり。
本当は、無視されるのも悲しいし、1人でいるのも嫌だったのに。
1人でいることが増えてくると、
休み時間は読書ばかりして過ごすようになりました。
図書室は楽園です。
本を読むために集まる人たちは、お互いに干渉しない、本にしか興味がない。
保健室より、よっぽど良い避難場所でした。
けれど人と話さない時間が増えれば、コミュニケーション能力は低下するもの。
ひどい日は、朝から夕方まで一言も話さない、なんてこともありました。
気付いたときには、すでに手遅れ。
立派なコミュ障の出来上がり、です。
コミュニケーションに苦手意識ができてしまうと、なかなか改善は難しいものです。
特に初めて会う人や新しく入学する学校は地獄です。
初対面の会話の始まりは大丈夫。
「はじめまして○○です。よろしくお願いします」
この後が続かないんです。
いわゆる、雑談ができないんです。
話しかけられても会話が続かない。
もちろん、自分から話しかけるなんてできない。
「これを言って変に思われないかな…」
「さっき、もっと違う言い方があったかも…」
「今の、言葉が足りなかったな…」
「また無視されるのは嫌だな」
頭の中はうるさいくらいなのに、実際に口から出るのは、たった3文字。
「あ、うん…」
人と上手に会話ができないと、
他人と同じ空間にいるのも苦痛に思うようになりました。
なぜ私は他の人と同じようにできないのか?
自分はどこかおかしいのではないか?
みんなが当たり前にできることが、私にはできない。
「同じじゃない」ことが怖かったんだと思います。
「同一であること」が重視される義務教育の中で、自分は出来損ないだと突き付けられているようで。
みんな足並みを揃えて、同じ方向を向いて、はみ出さないように…
「みんな同じ」を目指すこの国の教育は、
集団生活を送る上では利点であると同時に、私のようなハグレモノには苦痛を与える拘束具でした。
結局、中学校も高校も、人間関係がうまくいかず、だんだんと通わなくなっていきました。
社会不適合者の値段
手取り11万円
就職活動中に提示された月給です。
私は専門学校に通っていました。
とはいえ小学生で不登校になり、中学校も半分くらいは通っていない、
さらに高校は2か月で中退するような社会不適合者な私です。
名前が書けて素行に問題が無ければ誰でも受け入れてくれるような、小さな学校でした。
周りは同じように不登校や留年の経験者ばかり。
似たような悩みやコンプレックスを抱えた者同士、ウマが合う人が多く、放課後遅くまで語り合うこともよくありました。
生徒が中心になって企画する行事も多く、良くも悪くも特殊で自由なところでした。
似た境遇の仲間と、理解のある教員。
初めて居心地が良いと思えた学校でした。
専門学校で数年間、洋裁の専門知識を学びました。
入学当初は特別縫い物が好きなわけでは無かったんです。
就職することを考えたとき、黙々と作業できて、
複雑なスキルも必要ない単純な縫製作業なら、仕事として耐えられると思っての選択でした。
思いのほか適性があったのか、縫い物自体は楽しかったし、成績も悪くなかったんです。
そんな経緯で選んだ学校でしたが、正直に言えば
「働きたくない」
「社会に出たくない」
と思っていました。
ぬるま湯に浸かるような学生生活が楽しくて、
卒業した途端、急に社会人として働かないといけないのが嫌で真面目に就職活動しなかったんです。
何よりも、集団生活に耐えられるとは到底思えませんでした。
「今のこの学校が特殊なだけで、社会に出ればまた苦しい思いをする。
上手に人付き合いができない私が、渡り歩けるわけがない。
わがままなのは私が一番わかってる。
就職しないで生きていける方法があればいいのに…」
そして気乗りしないながらも調べた求人情報に提示されたのは、正社員でも良くて手取り11万円。
自分で選んだ職種ではありましたが、これが私の価値なのか、と。
これが、まともに学校にも通えない人間に与えられる価値かと。
元々の働きたくないという思いと相まって、一気に熱が冷めました。
手取りで11万円なら良い方だと思うかもしれません。
仕事があるだけでありがたいと思う人もいると思います。
でも当時の私は「働く」ということに強い拒否反応を示していたんです。
「学校を卒業したら社会人として働かないといけない」
「就職するのは当たり前のこと」
この価値観がどうしても受け入れられなかったんです。
結局、一度は就職したものの、
そもそもが働きたくないニート思考な上に豆腐並みのメンタル。
崩れるのは、すぐでした。
たくさんの人と同じ空間でコミュニケーションを取りながら働かないといけない息苦しさに耐え切れず、1週間も保たずに退職を願い出ました。
社会不適合者の悪足掻き
会社にうまく適応できなかった私は、ニートになりました。
けれど、働かないという選択は思いのほか気持ちを楽にしてくれました。
毎朝決まった時間に起きて仕事に行くこともない、
他人と同じ空間にいなくていい、嫌そうな視線を受けることもない。
他人と会わなくていい毎日に安堵しながらも、まともに働けない自分を情けなく思っていました。
朝起きた時は「家に居ていいんだ」とホッとして。
「でも今の時間に家に居るのはおかしい、みんな働いている。私は何をしてるんだろう…」と急に不安定になる。
その繰り返し。
胸のあたりが重たく、ずっとモヤモヤしている感じでした。
最初は両親に対する罪悪感がありましたが、一か月もすると
「組織で働けないなら自分でお金を稼ごう」と考えるようになりました。
「専門学校に通って得た洋裁の知識と技術を活かそう。
自分で服を作ってネットで売ろう。自分だけのブランドを作ろう。」
根拠のない自信があったんです。私が作った服は売れる、と。
そして実際に売れてしまいました。
そこから勘違いしてしまったんです。
ネットでなら稼げる、と。
現実に稼いだのはお小遣いにも満たない金額だったのに。
今思えば現実逃避な上に、「認めてほしい」という感情があったのでしょう。
現実世界ではうまくいかないけど、ネットの世界でなら必要とされる。
そんな状態で数年を過ごしました。
だんだんと不安が大きくなったんです。
このままでいいのか、と。
ろくに稼げもしないのに、この先もハンドメイド作家ごっこを続けるのか、と。
承認欲求は満たされても、生活できるほどフトコロが満たされることは無い。
何年も経って、ようやく少しだけ現実に目を向けるようになりました。
お金の恐怖に立ち向かえ
どうにかしなければ…と悶々としていた20代最後の年、再び雇われて働く決意をしました。
清掃員の仕事です。
きっかけは税金滞納者の差押えのテレビ番組。
映像の力というのは恐ろしく強力なもので、
簡単に数十年後の自分を想像できてしまう内容でした。
赤の他人に家に踏み入られ、金目のものを片っ端から徴収される…
演出の効果でしょうが、恐怖映像そのものでした。
社会に適応できず、自分で稼ぐ力のない者はこうなるのだ、と。
清掃の仕事を始めたのも、そんな将来突き付けられるだろう恐怖を感じたからです。
働きたくないという思いは今も変わりません。
相変わらず空気が読めるようにはならないし、
他人と一緒に何時間も過ごすなんて私には効果抜群の拷問です。
辞められる時が来たら必ず辞めてやる。
そのために、なんとかして働かずに収入を得る方法を確立しなければ、と初めてお金のことを真剣に考えました。
この国の学校教育では、お金のことを教えないのが一般的ですから、自分で学ばない限りは無知なままです。
「知らない」ことは恐怖ですし、いつまでも無知なままではいられません。
私は、お金に振り回されたくはありません。
お金についての本を読み、ネットで調べているうちに一つの出会いがありました。
アフィリエイト。
不労所得を構築するネットビジネス。
以前のお遊びネットビジネスとは違う。
きちんと稼げる仕組みを作れるビジネス。
これが最後の砦なのではないかと思いました。
私のような社会不適合者に残された、最後の選択肢。
今、私は「自分の力でお金を稼ぐ」ためにシステムを作り上げている最中です。
自由は手に入るのだと自分自身に言い聞かせて。
お金がすべてではありませんが、お金があれば大抵のことはなんとかなります。
気持ちにゆとりができて、心も豊かになります。
経済的な余裕ができれば、趣味を思いっきり楽しむことだってできる。
やりたいことを、飽きるまでやれる。
迷惑をかけた両親に親孝行もできる。
本格的な自給自足や地方移住だって挑戦できる。
旅に出てもいい。行ったことのない場所へ自分の足で歩いていける。
もう、お金のことで悩まなくていい。
学歴も人脈も資金も必要ない、ニートでも引きこもりでもコミュ障でも参戦できるビジネス。
他人の視線に怯えることも、周りと違うことに嘆くこともない。
何にも束縛されない自由な未来のために。
私は、可能性を諦めたくない。
私たちには、自由に生きる権利がある
「良い学校に行って良い成績を取りなさい」
「良い会社に就職して定年まで働きなさい」
「資格を取って安定した仕事に就きなさい」
小学校でも中学校でも高校でも…
言葉は違っても、概ねこんな事を教えられてきたと思います。
例に漏れず、私も公務員はこの世で一番安定した仕事だと思って生きていました。
幼い頃は、親や周りの大人が言うことは絶対に正しいんだと思っていましたし、
そう従うように教育されてきました。
疑うことを覚えたのはごく最近です。
親や教師から教わったことは、本当に正しいのか…?
学校ではお金を稼ぐ方法やお金の知識については教えてくれません。
私たちは当たり前のように、会社に雇われ従業員として働く道を選択するよう教育されます。
それが安定した道だと、食いっぱぐれない人生だと教えられてきました。
自分の頭で考えることもせず、ただ周りに流されるまま、疑うことなく、そう思い込まされて。
学校という教育機関で植え付けられた集団意識は、
自分の人生について思考することを奪っていたように思います。
自分に問いかけてみてください。
本当は、どう生きたいのか?
何をやりたいのか?
一年後の今日は、どうなっていたい?
今、あなたがやっていることは、本当にやりたいことですか?
一度しかない人生、誰だって自由に生きる権利を持っています。
インターネットが普及した現代において、
20代や30代で仕事を辞め、自分の好きなように生きる人は珍しくありません。
そしてそれは、あなたにも私にも、不可能ではないのです。
私は自分が死ぬ時に「あれをやっておけば良かった」と後悔するのだけは嫌です。
なるべく若いうちに、好きなことだけをやって、好きな人とだけ一緒にいられる環境を作りたい。
そして、あなたにも
好きなことを、好きなだけやれる環境を、
大切な人と好きなだけ一緒にいられる時間の自由を手に入れてほしい。
あなたの人生を変えるために踏み出す最初の一歩に、私が関われたら幸いです。